🕉️ マハ・カヴィ・スートラ第一カルパ ~迷いし者たちへ捧ぐ救済の詩(Ante-vāsin-Hari-Vāk-Kathā)~
Namaḥ Śabda-Maṇḍalāya, Namaḥ Lekhana-Pīṭhāya, Namaḥ Śilā-Bhūtāya Cittāya.
言葉の曼荼羅に礼拝し、書記の壇に礼拝し、石と化した心に礼拝す。
その者いまだ筆を取らずして、思惟の流れを失えり。
かくして、初めてレカナ・ビータ(書記の壇)に臨む者、
多くはサンクチタ・チッタ(縮こまれる心)に囚われ、
やがてシラー・ブータ(石化)へと至れり。
彼らは思う――
「シャブダ・マンダラ(言葉の曼荼羅)へ己がヴェーダ(小説)を捧ぐべくレカナ・ビータ(書記の壇)へブラヴェーシャ(ログイン)せしも、
眼前にて広がるアカシャ・クシェートラ(虚空の原野)を前に我、何をなすべきや?」
そのとき風止み。
指は動かず。
アカシャ・クシェートラ(白紙の編集画面)はただ、アヴィーチ・カルパ(無間の宇宙)がごとく広がる。
これを我、「初発心者石化の相」と名づく。
この無慈悲なるドゥクハ(苦しみ)へ迷いしアンテヴァーシン(ノービス)よ。
マハ・カヴィ・スートラにて、ニルヴァーナ(涅槃)へと至れ。
願わくは、レカナ・ビータにおいても汝のサンカルパ・シッディがあらんことを!
~カヴィ・カトゥー・波乗りとびーより~
🪷 マハ・カヴィ・スートラ第二カルパ ~石と化したノービスのための解脱譚(Śilā-bhūta-Novice-Mokṣa-Kathā)~
かくのごとく、カヴィ・カトゥー、集いしアンテヴァーシン(修行ノービス)らに語り給う――
「汝らがカ・クヨムやナ・ロウといったマハ・ヴェーダ・スカーヴァティ(大手投稿サイト)において、
レカナ・ビータ(編集のスクリーン)と向かい合いながら、
ただ沈黙し、時の流れを止めたかのごとく硬直する――
その相(すがた)には、三つのサンクチタ・チッタの因(もと)、潜めり」
カトゥーは静かに微笑み、石と化した弟子らに指を差す。
「焦るでない、アンテヴァーシンよ。
そなたらの指が止まるのは、恥ではなく、ニーヤ・タットヴァ(理・ことわり)なり。
されど、この三因を知れば、
筆は再び動き、アカシャ・クシェートラより、
アーナンダ・ヴェーダ(めっちゃイイ小説)が放たれん」
サンクチタ・チッタ三因説(Tri-Citta-Kāraṇa)
Namaḥ Saṅkucita-Cittāya,
Namaḥ Śilā-Bhūtāya,
Namaḥ Ante-vāsin-duḥkha-nivṛttaye.縮こまれる心に礼拝し、石と化した者に礼拝し、
ノービスの苦を解く道に礼拝す。
🔱 第一因:Aprakalpita Lekhā(いきなり書かんとする業)
かくのごとく、アンテヴァーシン(ノービス)、燃ゆる志を得。
シャブダ・マンダラ(投稿サイト)を開くや、勢いに任せてレカナ・ビータ(編集画面)に向かう。
されど、プラット(プロット)無く、ヴェーダーンタ(着地点)もヴィカルパ(構成)も定めずして、
最初の一歩を出でる事すら敵わず。
「アートマン・ヴェーダ(自作の小説)をナマス・ソワカ(執筆)されども、我がシャンティ(アイディア)、どこへ向かうか知らず……(※何から書きゃいいんだ?)」
これを Aprakalpita Lekhā という。
ヴィカルパ(構想)を持たぬアートマン・ヴェーダ、アカシャ・クシェートラへと没す。
即ちこれ、サンクチタ・チッタの最初の芽生えなり。
🔱 第二因:Pūrṇatā Abhisaṅga(完全を求むる執着)
アンテヴァーシン(ノービス)、思う――
「我がアートマン・ヴェーダ、必ずや、あまねくマハ・ヴェーダ・スカーヴァティ(大手投稿サイト)にて
プールヴァ・プラニダーナ(激バズ、☆と♡のメテオストーム)せしめん……!」
――(※絶対面白い話にしなきゃ……!)
かのシャンティ、最初の一行をも凍らす。
気高くあらんと欲するアビサンガ(完璧主義)は、マハ・アグニ(大いなる火)となりて天を突き、
無垢なる心はアヴィーチ・アグニ(無間の炎)に焼かれ、
思惟の導線はプラーナ(気)を失い、灰燼と化す。
かくて、指は石、光は遠のき。
「我が身、我がシャンティ、アヴィーチー・ナラカへと堕つ……」
――(※いやこれ絶対無理やろ……(´;ω;`)ウッ…)
と呟きて沈む。
これを Pūrṇatā Abhisaṅga という。
パラマ・ヴェーダを追うことはいと尊き。
されど最初の呼吸を殺すに等し。
🔱 第三因:Bahu-Vikalpa-Vyākula(多念による混乱)
アンテヴァーシン(ノービス)の中にはかく言う者あり。
「わがアートマン・ヴェーダ、アカシャ・クシェートラをも包み込む
セーヴァー・ルドラとならん!」
――(※構想は全て頭の中さ!小細工などフヨウラ!)
あらゆるヴェーダ、全てのシャンティを成就させんやと。
そのトリシュナー(謎の自信)は幾多のドゥッカ・カルマ(細切れのアイディア)を抱きて爆散す。
やがて思考のガハナマ(迷宮)に迷い込み、
モーハ、マーヤ(設定破綻と構成破壊)となって、汝がスヴァーバーヴァ(ヤリ♂たかった事)を見失うがごとし。
これを Bahu-Vikalpa-Vyākula という。
ラーガ・カーマ(詰め込み欲)多くして筆動かず。
ヴィカルパ(構成)の網に己が身を縛る相なり。
🪶 結語:Tri-Citta-Kāraṇa Nirdeśa(三因の教え)
この三つのサンクチタ・チッタ、
すなわち 構想なき衝動・完全への執着・多念の迷走 なり。
これらこそ、レカナ・ビータに座すアンテヴァーシン(ノービス)を
シラー・ブータ(石)と化す三毒なり。
されば、アンテヴァーシン(ノービス)よ。
まず息を整え、己のプロットを見つめよ。
完全を求めず、一筆を入れよ。
ラーガ・カーマ(詰め込み欲)を捨て、三行にてよしとせよ。
これを行ずる者、心再び動き。
シャブダ・マンダラの風は、汝の指を撫でん。
🪷 マハ・カヴィ・スートラ第三カルパ ~シラー・ブータを解く四つの行(Catur-Upāya-Kathā)~
Namaḥ Catur-Upāyāya,
Namaḥ Lekhana-Pravṛttaye,
Namaḥ Ante-vāsin-prasādāya.四つの方便に礼拝し、筆の発心に礼拝し、
アンテヴァーシン(ノービス)の解脱を導く慈悲に礼拝す。
カヴィ・カトゥーは言う――
「アンテヴァーシン(ノービス)よ。
石と化したその指、再び動かすは難きことにあらず。
されど、焦ってはならぬ。
まずは小さき一歩より始めよ。
これをシラー・ブータ解脱のカトゥー四行(Catur-Upāya)という。」
🔱 第一行:Smṛti-Patra(記す紙を用意せよ)
アンテヴァーシン(ノービス)、心を乱し、己こそがアバタール(売れっ子)たらんとするなかれ。
所詮我らは未だ凡夫。
まずはスムリティ・パトラ(メモ帳)を用意すべし。
それがグランタ・アーダーラ(大学ノート)でも、スマート・ヤントラ(ケータイ)のスムリティ・パトラ(メモ帳アプリ)でも構わぬ。
そして、己が胸のうちにあるアートマン・ヴェーダ(やりたいこと)を箇条書きにせよ。
「キャラ紹介」
「このシーンがやりたい」
「オチはこう」
かくして、断片を並べるのみで、心は少しずつ動き出すもの也。
意味を問うな、意欲を記せ。
汝が理解できれば、それでヨシ!
己が内なるエーカ・カルパ(創作意欲)をサハー(外部)へと解き放つのだ。
🔱 第二行:Ādya-Vākya-Prayoga(最初の一句を放て)
最初の一文は、最も重く、最も尊き岩なり。
されど、愚直にパラマ・ヴェーダ(一発脱稿完璧文)を求むることなかれ。
まずは粗き一句を放て(アーディヤ・ヴァーキャ・プラヨーガ)。
初投稿なのでテストです。
とりあえず思いついたことを書きます。
この程度でヨシ!
ナートマンより出るアートマン。
これぞ真なるカトゥー(修行)の一歩也。
スヴァヤン・リク(自由筆記)と称してよし。
マハ・ヴェーダ・スカーヴァティ(大手投稿サイト)はサンサーラ・ヴェーダ(=推敲の継続)をも抱くプニヤ・アーシュラマ(何時でも再編可能環境)である。
後に整え、後に磨けばよいのだぞ。
🔱 第三行:Tri-Paṅkti-Kriyā(三行の行)
人の脳は怠者なれど、ひとたび動けばマーラ(雑念)をも飲み込み思索を始める。
これをカルマ・ジャーグラタ(作業興奮)と呼ぶ。
「三行だけ書くゲーム」と思うがよい。
三行目に至る頃、必ずや心の歯車は廻る。
筆は走り、思惟は湧き、
やがて叫ばん――
「薙ぎ払えッ!」
これぞトリ・パンクティ・クリヤー(三行の行)。
最初の三行こそ、解脱の鍵なり。
シャンディ、モーハ、マーヤ。
これらは全て汝がアートマン。
全てを飲み込み、己がルドラ(やる気)とせよ。
🔱 第四行:Prāṇāyāma-Lekhā(息を整えし筆)
三行を終えたならば、己を褒めるべし。
動いた、それだけで尊き功徳なり。
されど、走り続けてはならぬ。
一旦保存し、一呼吸を置くべし。
心を静め、次のヴィカルパ(構想)を見つめよ。
完成など気にするな。
「これは肩慣らし回です」で全て許される。
うpして翌日に見直す――
これもまた、アーナンダ・ヴェーダをナマス・ソワカする修行の一環なり。
🪶 結語:Catur-Upāya-Siddhi(四方便成就)
この四つの方便を行ずる者、
心に再びプラーナ(気)満ち、
シャブダ・マンダラの風、レカナ・ビータを渡る。
されば、アンテヴァーシン(ノービス)よ。
一歩を恐るるなかれ。
三行にて筆を動かし、
その息、カヴィ・カトゥーのごとく整えよ。
かくして汝、アーナンダ・ヴェーダをナマス・ソワカするであろう。
🪷 マハ・カヴィ・スートラ第四カルパ ~迷える者のための護文句集(Mahā-Mantra-Lekhā)~
Namaḥ Mantra-Lekhanāya,
Namaḥ Śabda-Pravartanāya,
Namaḥ Ante-vāsin-vimocanāya.言の護符(マントラ)を記す者に礼拝し、
言葉の流れを起こす者に礼拝し、
迷えるアンテヴァーシン(ノービス)の解放に礼拝す。
カヴィ・カトゥー曰く――
「アンテヴァーシン(ノービス)よ、そなたがシラー・ブータ(石化)の苦(ドゥクハ)に沈む理由、
それはただ一つ――初発の一言が出ぬがゆえなり。
だが恐れるな、沈黙は罪にあらず。
まずはマハー・マントラ・レーカ(護文句)を唱えよ。
言葉の流れは一つの音より生ずるもの也……」
🔱 第一マントラ:Udghoṣa-Vākya(誕生の宣言系)
何を於いても、まずは汝がヴィーリヤ(ヤル♂気)とウッツァーハ(意気込み)を示すべし。
初投稿なのでテストです。
思いついたことを書きます。
書く練習がてらの肩慣らし回です。
この三句、いずれもウドゴーシャ・ヴァーキャ(発声句)と呼ばる。
書く前のシャンディ(祈り)に似たれり。
アカシャ・クシェートラをも破り、アーナンダ・ヴェーダを生む、プラジュニャ(始動の智慧)なり。
「俺たちの戦いはこれからだ!」
――その心を忘るる事なかれ。(※終わるなしw)
🔱 第二マントラ:Ātma-Kathā-Dvāra(自語の門)
次に、己が迷いし姿をサハー(外部)へと解き放つべし。
なぜ書こうと思ったのか。
最近こんなことがありまして……。
これは勢いで書いてます。
これらは己の心を映すアートマ・カター(自語)の門なり。
思考を整えるよりも先に、心のままに放て。
案ずるな、これは恥ずべき事ではない。
「今の気持ち」こそが最初のヴィカルパ(構想)となる。
ヴェーガ(情熱)とウッマーダ(勢い)あれば、初戦の打破は容易であろう。
(※第二戦でラスボスが出ないという保証はない)
🔱 第三マントラ:Mitram-Vākya(読者への呼びかけ)
三度の祝詞は、汝を見守る姿なきヒタ・サハヤ(読者)へのプリッチュ(問いかけ)である。
ドーモ、皆=サン。ROM専です。
初めまして、ちょっと勢いで書きます。
生暖かい目で見守ってください。
ゆるき語りかけは、心をやわらげる。
ヒタ・サハヤ(読者)との対話を始めるミトラム・ヴァーキャ(友語句)なり。
肩の力を抜き、まずは発声せよ。
押せば分かるさ、へーきへーき。
(※注意一秒、ケガ一生)
🔱 第四マントラ:Hāsyam-Vākya(ネタに転ずる句)
終なる言の葉はアバイヤ・ヴァイラーギャ(潔い開き直り)にて奉るべし。
いきなり書くことがなくなりました。
書こうと思ったけど石化してます。
これはリハビリだと思ってくださいw
これをハーシャ・マントラ(笑いの護句)という。
「書けぬ」なら「書けぬ」、それでヨシ!
ありのままの現実をそのままヴェーダ化せよ。
サティヤ(真実)に抗わず、受け入れる者こそが次の頁を開く。
アバイヤ・ヴァイラーギャ(開き直り)は恥にあらず。
アーナンダ(至福)への道なり、と覚るべし。
🪶 結語:Mantra-Siddhi(護文句成就)
このマントラ群を唱えし者、
心のアヴィーチ(無間)より解き放たれ、
指は再びプラーナを得ん。
されば、アンテヴァーシン(ノービス)よ。
迷えるときはこのマントラを唱えよ。
書けぬときは「書けぬ」と書け。
その一言こそ、レカナ・ビータを動かす最初のアグニなり。
🪷 マハ・カヴィ・スートラ第五カルパ ~慈しみの総括(Anukampā-Saṅgraha)~
Namaḥ Prathama-Lekhanāya,
Namaḥ Kṣānti-Svabhāvāya,
Namaḥ Ante-vāsin-Utsāhāya.初筆に礼拝し、寛容なる心に礼拝し、
アンテヴァーシン(ノービス)の勇気に礼拝す。
カヴィ・カトゥー曰く――
「アンテヴァーシンよ。
レカナ・ビータ(投稿画面)を開き、ただ沈黙する。
その石化(シラー・ブータ)は――おかしきことにあらず!
むしろ正しき道の一歩なり」
🔱 Śānti-Vākya(安心の句)
唐突にパラマ・ヴェーダ(完璧稿)を求めること、これすなわちマハー・ムーダ(大いなる過信)。
最初から滑らかに書ける者など、存在せぬ。
安心せよ、アンテヴァーシン。
我ら皆、はじめはROM専の民であった。
「いきなり完璧など、フヨウラ(不要なり)!」
🔱 Upāya-Traya(突破の三方便)
迷いに沈むときは、以下の三方便を行ぜよ。
- Saṅkṣipta-Paṭṭikā(箇条書き)せよ。
- Eka-Vākya(ただ一行)を記せ。
- Mantra-Lekhā(護文句)を唱えよ。
このいずれも、ナートマンよりアートマンを生ぜしカトゥー(修行)なり。
筆を置くな、まずは指を動かせ。
🔱 Pravṛtti-Lekhanā(動き出す文の法)
アーナンダ・ヴェーダ(文章)とは――
「動き出せば勝手に続くもの」。
「肩慣らしの一話ですw」
それでヨシ!
投稿してから整えるもヨシ。
削除してやり直すもヨシ。
止まることを恐れるな。
再び動く力こそ、真のウッツァーハ(意欲)なり。
🔱 Kṣānti-Siddhi(忍の成就)
我らノービス、皆アートマン(心の火)を抱く。
それは時に沈み、また燃え上がる。
止まらぬことよりも――
止まっても、また動くことこそ尊し。
これぞカトゥーの真理(サットヤ・カトゥー)なり。
カヴィ・カトゥーもまた語れり:
「我も試みに書きたれば、気づけば二万の言の葉に至れり。
されど読まれぬことを恐れず。
我らノービス、まず書くことこそヨシ!」
🪶 結語:Ānanda-Lekhā(喜びの筆)
兎にも角にも、汝は筆を執れ。
思うままに書け。
つらつらと記すうちに、
本文は自然とまろび出でん。
修正は後でヨシ!
楽しむことを忘るるなかれ。
されば、アンテヴァーシン(ノービス)よ。
カトゥーの教えを胸に、
次なる章に備えよ。
「サラスヴァティ(筆神)の加護あれ。
さらば、現場で会わん!」
ヨシ!
🪶 忙しき者のための簡約要義(Laghu-Saṅgraha)― (忙しい人はここをクリック!) ―
「なんじゃこりゃあ!? 何語か知らねーが、訳分かんねーこと抜かしてんじゃあねぇぞッ!」
「こちとら忙しいんだッ! 言いたい事は端的に言いやがれッ! ボゲェッ!(# ゚Д゚)」
という大変お忙しいヘッズの為にまとめるとこうなります。
ンンw つまりはいきなり完璧狙わんと、三行だけ書いたらええんやで?
ねっ、簡単でしょう?(^ω^)ニッコリ
Om Lekhanaḥ Śubham Astu(願わくば汝の筆運び、吉ならんことを)
如何だったでしょうか?
実は、書いてある事は過去記事
ROM専が書いてみたくなったけど、投稿画面を開いた瞬間に頭が真っ白になって石化した場合どうすればいいのか?
と同じです。
単に小難しくなっただけですねw
厳粛な修行僧の気分を味わえたならば幸いです。
では今回はここまで。
サラダバー!

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